あとがき

スズ

そういえば先輩!お稲荷様って狐ですよね?
先輩もキタキツネだから、やっぱ友達なんすか?

キタジマ主任

っ!
馬鹿、何いってんだよ……
そんなバチアタリなこと言うなよ……(小声)

スズ

それに、こんな高層ビルだらけのすすきののど真ん中に、狭いスペースで鳥居って、場違いすぎません?
どういうことなんすか!

キタジマ主任

だ・か・ら黙れって。稲荷様の耳に入ったらどうすんだ……。

アカガネ所長

スズちゃんは、こっち側の世界に来て日が浅いので、疑問が出るのは自然です。
最終回の余韻はそのままに、ここは「資料室」として、事実と宗教の範囲で整理しておきましょう。

シマナガ

実際の文献を引用しながら稲荷様について解説します。

あとがき資料室|最終回の稲荷さまは何者?

注釈0|「稲荷さま=狐」ではない

スズ

そもそも稲荷様って、狐っすよね?

アカガネ所長

ここ、ズレやすいです。稲荷さま本人と狐は別枠。
狐は「神さまのお使い(眷属)」とされる立場で、稲荷大神そのものではありません。

引用文献

物語で狐の姿に見えても、「神そのもの」と「使い(眷属)」は分けて説明されるのが基本です。

伏見稲荷大社「よくあるご質問(稲荷大神はきつねではありません)」

注釈1|稲荷とは「生活の根っこ」から「商い」までつながる信仰

スズ

じゃあ稲荷様って、結局なに担当なんすか?

アカガネ所長

一言で言うなら、生活の根っこ。
五穀豊穣みたいな「生きる土台」から、商売繁昌みたいな「生業」まで、願いの窓口が広いタイプです。

わかりやすく解説
  • 「稲(食)」は命と直結するので、そこから自然に「仕事」「店」「暮らし」へ話がつながります。
  • だから稲荷さまが「商売」の話をしても不自然になりません。

引用文献
伏見稲荷大社「伏見稲荷大社とは」

伏見稲荷大社「ご利益」

注釈2|すすきのの稲荷は「寺なのに稲荷」という現実モデルがある

スズ

でも、稲荷って神社じゃないんすか?鳥居あるし。

アカガネ所長

日本だと「寺なのに稲荷」もあります。
たとえば豊川稲荷(妙嚴寺)は、公式に曹洞宗の寺院で、鎮守として吒枳尼眞天を祀ると説明しています。

わかりやすく解説
  • 「稲荷=神社(狐)」だけで見ると、稲荷さまの存在が浮きます。
  • でも現実には、寺院系稲荷が存在する。だから「神も仏も…」という台詞が生活の宗教感覚として成立します。

引用文献

豊川稲荷(妙嚴寺)「当山の歴史」

注釈3|なぜ、すすきののど真ん中に稲荷があるのか

スズ

にしてもなんで、すすきののど真ん中に鳥居と稲荷があるんすか?
ここ、ネオンの中心地っすよ? どう考えても場違いでは…?

アカガネ所長

場違いに見えるのが、むしろ“正解”なんです。
すすきのは昔から、街の役割として「人の欲望」と「お金」と「孤独」が集まりやすい場所でした。
そういう場所ほど、宗教は「商売の窓口」と「弔いの窓口」として必要になります。

結論だけ言うと、理由は3つです。
  • 1)すすきの自体が、官許遊廓を起点に発達した「歓楽の街」だった
  • 2)その裏側で生まれた“置き去り(無縁・水子など)”を弔う必要があった
  • 3)盛り場は不安定だから、宗教が「気持ちを整える装置」になる(祈願・供養・年中行事)

根拠の骨格(史実パート)

  • すすきのの起点
    • すすきのは、札幌本府建設の労務者を引き留める目的で、意図的に設けられた官許遊廓が起点だと整理されています。
  • 豊川稲荷札幌別院の性格
    • すすきの近くの「豊川稲荷札幌別院」は、神社ではなく曹洞宗の寺(玉宝禅寺)で、
      本寺(愛知の豊川稲荷=妙厳寺)につながる別院です。
      そして、豊川稲荷が祀るのは「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」であることが公式に説明されています。
  • 境内にある弔いの痕跡
    • 境内には「薄野娼妓並水子哀悼碑」が建立され、
    • 薄野の花街に関わった人々の供養・慰霊の意図が、市史資料側でも整理されています。
  • 盛り場と稲荷信仰は、全国的にも“セット”になりやすい
    • 遊廓・花街の内部や周縁に稲荷が置かれ、働く側の女性たちの信仰対象になっていた事例は、他地域研究でも確認されています。
わかりやすく解説

すすきのみたいな街は、
「お金が動く」ぶんだけ、「不安」も「罪悪感」も「喪失」も発生しやすい。

そこで宗教が担うのは、
“奇跡”じゃなくて、もっと実務的な役割です。

  • 商売が続くように、気持ちを整える(祈願)
  • 失ったものを、置き去りにしない(供養)
  • 街の人間が、年中行事で呼吸を合わせる(祭り)

だから、ど真ん中にある。
あれは「街の心理的なインフラ」みたいなものなんです。

引用文献

すすきのの起点(官許遊廓): 札幌市中央区資料PDF

玉宝禅寺(豊川稲荷札幌別院)沿革: 公式

豊川稲荷が祀る対象(吒枳尼真天): 公式

薄野娼妓並水子哀悼碑(市史側の整理): 新札幌市史デジタル

遊廓と祈り(稲荷が信仰対象になりやすいことの研究)

神様の言葉の意味

神様の言葉の意味①|「法律など、人間が勝手に決めた“都合の取り決め”にすぎん」

スズ

え、じゃあ稲荷さまって「法律なんて知らん」って意味で言ったんすか?

アカガネ所長

そこ、誤解されやすい所です。ここで言いたいのは「法律が無意味」じゃなくて、“法律=人間社会の運用ルール”だという整理なんです。

シマナガ

法律は現実で適用される。だが宗教の「赦し」は、裁判の無罪とは別の概念。

まず結論(ここだけ読めばOK)

このセリフの「赦し」は、
「違反を無かったことにする」ではなく「立て直して、やり直せる状態へ戻す」という意味で置いています。

  • ルール違反はルール違反として処理される(現実は現実)
  • ただし、処理のあとに「人生の入口」まで閉じない(再出発は可能)
わかりやすく解説

たとえば、泥で汚れた服を想像してください。

  • 法律(ルール):汚した事実に対して、罰金や弁償など「処理」をする仕組み
  • 赦し(宗教):泥を落として「また外へ出られる状態」に戻す仕組み

つまり「赦し」は免罪符じゃなくて、
“整える→戻る→もう一回やる”のための考え方です。

宗教的な根拠①(神道):「罪=穢れ」「祓=リセット」「直毘=元に戻す」

神道では、罪を“絶対悪”として固定するより、「穢れ(けがれ)」として付着する状態として扱い、
それを祓(はらえ)・禊(みそぎ)で落としていきます。

ポイントはこの3段階です。

1) 禊(みそぎ)
 死や不浄に触れたあと、水で身を清め「次へ進む」ための基本発想。
 神話でも、黄泉の国から戻った伊邪那岐命が禊を行い、その清めの中で天照大御神が生まれる流れが語られます。
 → “失敗や汚れは、脱ぎ捨てて次へ行く”という型。

2) 大祓(おおはらえ)
 大祓詞では、罪や穢れを「川→海→根の国・底の国」へと流していき、最終的に“消滅させる”プロセスが語られます。
 → 「抱えて固定」ではなく「循環の中で処理して、消していく」という型。

3) 直毘(なおび)
 直毘神は、曲がった状態(禍・まが)を“直す”働きとして説明されます。
 → 「許す=なかったこと」ではなく「直して戻す」が、神道側の芯。

この注釈で言う「赦し」は、まさにこの 直毘(元へ戻す) のニュアンスです。

宗教的な根拠②(仏教):「救い=人を終わらせない」

日本の宗教は、現実の善悪(法律・道徳)と、救いの話(宗教)を分けて考えます。

浄土真宗の「悪人正機」は、
“善悪の物差しが人間社会側にある”ことを前提にしつつ、
救いは仏の側の働きで、入口を閉じないという話として説明されています。

ここで借りているのは、その骨格です。

  • 裁かれるべきことは裁かれる(現実の処理)
  • それでも 「ここで終わり」と決めつけない(救いの入口)

「法律は無視していい」ではなく、
「法律は人が運用する“処理の仕組み”。でも“人を終わらせる呪い”にするな」
という整理です。

引用文献

神様の言葉の意味②|「お金が“偉く”なってしまった」

スズ

お金が偉いって、どういう意味っすか?

アカガネ所長

お金が偉くなったんじゃなくて、人が「お金のほうが上」って扱い始めた、って話です。
江戸時代の思想家・石田梅岩(石門心学)は、商人の利益を「俸禄と同じく正当な報酬」として整理しました。
つまり利益は「役に立った結果の報酬」であって、人を上下づける権力じゃない。
それが逆転して、金で人の価値まで決め始めた状態を「お金が偉くなった」と言っています。

わかりやすく解説
  • 梅岩:利益=ズルではなく「役に立った報酬」
  • 稲荷:生活(五穀)と商いがつながる窓口
  • もともと価値は生活に直結していたのに、金が「人の上下」を決め始めると歪む
    → その歪みを止める台詞です。

引用文献

神様の言葉の意味③|「売買とは“ありがとう”と“ありがとう”の交換」

スズ

売買って「ありがとう」の交換って…これって意識高い系のyoutuberが言ってるやつっすか?

アカガネ所長

詐欺の常套句ではなくて、商売を“長持ち”させるための設計です。
石田梅岩(石門心学)は、商人の利(利益)を「社会に必要な流通を担った報酬」として正当化しました。
さらに、貨幣が整う前は米・布・塩など「誰もが必要なもの」が、お金の代わり(物品貨幣)として使われていました。
つまりお金は最初から、命と生活を回すための交換道具だった。
だから「ありがとうの交換」は、相手の不安を減らして「払ってよかった」を作る取引、という意味になるのです。

わかりやすく解説
  • 「ありがとうの交換」=道徳ではなく「取引を壊さない構造」
  • お金は本来、生活の代理(交換の道具)
  • それが「相手の不安を放置して金だけ取る」側に傾くと、関係が続かない
    → 長く続く商売の原理としての台詞です。

引用文献

神様の言葉の意味④|「神様とは“勝手に赦す存在”なのじゃ」

スズ

神様だからって勝手に赦すって、都合よすぎません?

アカガネ所長

「都合よすぎ」に見えるのは、赦しを“裁判”と同じ土俵で見てしまうからです。
ここでの赦しは、無罪判決や免責じゃありません。
「やったことの責任」は現実側で処理する。その上で宗教が扱うのは、“やり直していいのか”という入口のほうです。

シマナガ

法=社会の運用。
赦し=再出発の回路。混ぜてはいけません

わかりやすく解説
  • 法律=社会を回すためのルール運用(違反は処理される)
  • 宗教の赦し=再出発の入口(戻る道だけ残す)
  • 「勝手に赦す」=条件や採点を一旦外して、“立ち直りの導線”を先に確保する

だから稲荷さまの台詞は、「何してもOK」ではなく、
「責任を背負ったうえで、戻ってこい」という言い方です。

根拠1(神道)|赦し=「祓って、清浄に戻す」という仕組み

神道では、罪を「絶対悪の烙印」として固定するより、
日々の生活で積もる 罪穢(つみけがれ)禊(みそぎ)大祓(おおはらえ) で祓い清め、心身を清浄に保つ、という説明がされています。

さらに、國學院大學の解説では、朝廷の大祓の場で大祓詞が奏上され、
「祓が神々のなせるわざである」ことが理解できた、と整理されています。

つまり神道の「赦し」は、
人間の採点(資格審査)ではなく、神の側が“清めて戻す”という型です。
ここが「勝手に赦す」に見える正体です。

根拠2(浄土系)|善悪の採点と、救いの基準は別(入口を閉じない)

浄土真宗の説明では、私たちが普段使う善悪は 法律や道徳など“人間社会の基準”であり、
救いは 仏さま主体=仏の視点が基準だ、と明確に説明されています。

また「他力本願」は“他人任せ”ではなく、
阿弥陀如来の本願力(仏のはたらき)を指す、と本願寺派が公式に整理しています。

要するに、

  • 現実の責任は現実で処理する
  • それでも宗教は「ここで終わり」にしない(入口を閉じない)
    この二重構造が、日本の宗教の“赦し”の骨格です。

引用文献

神様の言葉の意味⑤|「ありがたいもんは何でも受け入れる」

スズ

それって“なんでもアリ”ってことっすか?

アカガネ所長

違います。ここで言ってる「受け入れる」は、善悪の判断を捨てるって意味じゃない。
「祈りたい人が来たら、窓口を閉じない」という運用の話です。
明治のはじめに「神と仏を分ける」政策(神仏分離)が出た、ということは、以前は“混ざっている状態”が広くあった、ということでもあります。
そして豊川稲荷(妙嚴寺)は、公式に曹洞宗の寺院で、吒枳尼眞天を祀ると説明しています。
だから「受け入れる」は、窓口を閉じない、という意味に寄せると自然です。

わかりやすく解説
  • 「受け入れる」=“なんでも肯定”ではなく「祈りの窓口を閉じない」
  • 日本の信仰は、歴史的に混ざっていた期間が長い
  • 稲荷が「寺なのに稲荷」でも成立するのは、その現場の実態があるから

引用文献

さいごに|心の拠り所は、あっていい

開業って、数字や手続きの話に見えて――実際は「自分の店を続ける力」を作る作業です。
怖くて当たり前。迷って当たり前。
それでも、あなたが鍵を握るその瞬間から、日常の景色が少し変わります。

うまくいく日もある。空振りの日もある。
大事なのは、派手な勝ちより「続けられる形」を守ること。
売上に酔わず、現金に怯えすぎず、来てくれた人の時間をちゃんと預かること。
それが、店を育てます。

正直に言うと、私は宗教にどっぷり傾倒しているわけではありません。
でも、心の拠り所はあっていいと思っています。
頑張る人が、折れそうなときに立ち直れる“支点”みたいなものです。

──さて。

閉店後のバー。客は帰り、照明は落ち、カウンターには磨かれたグラスだけが残る。
氷が溶ける音が、静かに響いている。

その店の空気が、なぜか少しだけ整っている夜がある。
理由は説明できないけど、変に焦らなくて済む夜がある。
一般の人には「たまたま落ち着いてただけ」に見える。
それでいい。

ただ、すすきのという街には、昔から“祈りの窓口”が点在していて、
商売の人間は、節目のたびに手を合わせてきました。
神さまが見えるとか、奇跡が起きるとか、そういう話じゃなくて。
「自分はここでやる」と腹を括るための、昔からある作法です。

だから最後に、これだけ。

あなたの挑戦も、きっとどこかで見守られています。
見守っているのは、神さまかもしれないし、あなた自身の覚悟かもしれない。
どちらでもいい。
続けるための支点が一つあるだけで、店は強くなります。

明日も、鍵を回せますように。